『砂の小舟(おぶね)』

1980年 日本 監督:丹波哲朗 原田雄一

丹波大先生といえば、もはや俳優というよりも「霊界案内人」として唯一無二、天下無双というお方ですが、これはプレ『大霊界』とも言うべき作品。現在は大霊界シリーズのさきがけとして、『地上(ここ)より大霊界』というタイトルになっているらしい。もうオープニングの金色に輝く髑髏(ドクロ)からして完全にカルトな雰囲気でわくわくします。

あらすじ

生まれた時から口がきけない少年(林田昭彦)と、少女(津奈美りん)は幼なじみだが、少女のお尻には「怨」と読める痣があり彼女には自分にどうしてそんな痣があるのか不思議でならない。ある日海辺で遊んでいた二人は、砂に埋もれた小舟を見つける。掘り出された小舟は二人に乗せると、ひとりでに洞窟に向かって走り出した。洞窟は過去に通じていて、二人は自分たちの前世の姿と口がきけないこと、「怨」の痣の因縁を目撃することに。

いや、手抜きじゃなくて、この先のストーリーを書いてしまうとネタバレしちゃうんで。タイトルで検索して上位に出るページは思いっきり後半までのストーリー書いてるので未見の方はご注意を。といってもDVD化されてない(ビデオはあったと思う)ので、たまたまどっかの映画館で上映するのに当たらないとなかなか見れないと思いますが。この映画自体には、『大霊界 死んだらどうなる』や『大霊界2 死んだら驚いた』みたいに霊界そのものが出てくるわけではないです。シリーズ完結編『大霊界3 勝五郎の再生』と同じテーマで「生まれ変わり(輪廻転生)」を扱ってます。似たテーマでは『リトル・ブッダ』というのもありますが、あっちはブッダの生まれ変わりなのでちょっと特殊かな(生まれ変わりという現象自体が十分特殊ですが)。
この作品のカルトな理由は「真言立川流」という文字通りの「カルト」が重要な役割をしているところ。「立川流」とは真言密教の流派の一つで、身分のある人の頭蓋骨に、男女がセ○クスした時の液と金箔を塗り重ねて金色の髑髏を作り、それによって各種の呪法を行うらしい。オープニングに出てくる金色の髑髏はこれなのです。で、どこかの洞窟でお面を付けた男女の信者が怪しげな読経の中、いっせいにHし始めるというなかなか凄いシーンがあります。これを主催する怪僧を演じるのが、もちろん丹波大先生。宗教的な儀式なのでヤラシイ感じはあまりないですが、かといって荘厳な感じもなく、どっちかというとかなり不気味。主人公二人も設定上は未成年なのに怪僧の催眠術に操られてヤってしまうので、DVD化されないのはこれが理由かも。映画の中の催眠術はかける方もかけられる方も明らかに演技でやってますが、丹波大先生は実際に催眠術ができるそうです。
映画では、丹波大先生が金色の髑髏の由来を主人公たちに語るだけで、真言立川流の儀式という説明はありません。立川流は江戸時代に邪教とされ絶えてしまったので、現代では存在自体あまり知られていないのですが、それを映画の重要なモチーフにしたところが、さすが丹波先生。立川流の成立や教義、儀式の詳細は京極夏彦氏のミステリー『狂骨の夢』という作品で詳しく紹介されています。どうも京極氏もこの映画を思春期の頃に観てしまったのではないかな。
さらに後半では、主人公たちが丸坊主にされた上、全裸で放置されたり、たどりついた納屋のようなところで野盗に襲われたりとひどい目に遭い続けます。まあ、このあたりしか見所がないと言ってしまえばそうなんだけど、何なんだか。

主人公二人が前世(過去)に戻ったときのセットや衣装が妙に豪華だったり、音楽をバッハ・レボリューションが担当してたりと、単なるB級怪作にとどまらないクォリティーも感じられ、見終わった後ですっかり呆然としてしまうような、しばらくは、もう一生観ることもないだろうなと思いつつも、十数年経った頃に、またどうしても観たくなってしまうというような、そんな不思議映画です。