『ドグラマグラ』

1988年 日本 監督:松本俊夫

ドグラ・マグラ [DVD]

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『砂の小舟』は「生まれ変わり」がテーマでしたが、そういう前世の記憶を「心理遺伝」という仮説で研究していた二人の心理学者による実験の結果起こった連続猟奇殺人ミステリー。戦前の探偵小説家、夢野久作の代表作にしてあまりにも有名な奇書『ドグラマグラ』の映画化作品。監督は『薔薇の葬列』『ゲンセンカン主人』など実験的な作風で知られる松本俊夫

あらすじ

「ブーン、ブーン」という柱時計の音で目を覚ました青年(松田洋治)は、自分が独房のような部屋に監禁され、記憶を失っていることに気付く。自分を「お兄様ァ」と呼び続ける謎の少女の声。やがて、心理学者で若林博士(室田日出男)と名乗る男が事情を説明し始める。若林博士の説明によれば、青年の名は呉一郎といい、ある理由から同居していた叔母と従姉妹を殺害しており、自分が呉一郎であることと、記憶をなくした原因を思い出せば回復し、ここから出られると言う。研究室に連れて来られた一郎は、正木(まさき)博士(桂枝雀)と名乗る坊主頭の怪人物から意外な真相を知らされる...。

ストーリーはあんまり詳しく書くとネタバレするんでこのくらいで。この映画の最大の見所はなんと言っても桂枝雀師匠のしゃべりと怪しげな演技!それに尽きますね。まさに、桂枝雀ドグラマグラ独演会。といって別に映画の中で落語をやってしまうわけではありませんが。
枝雀師匠には熱狂的なファンがいる一方で、ちょっと苦手という人もいるようですが、それは落語という笑いのエンタテインメントの中にも一抹の狂気というか、うまく言葉にはできない不穏さを隠しているからではないかと思います。ちょうど映画ではそれが反転する形で、自分の研究のためには手段を選ばないという、冷徹なマッドサイエンティストでありながら、ちょっとユーモラスで憎めないところもあるという二面性を持った正木博士という怪人物を怪演されています。圧巻なのは、チャカポコいう小さな木魚みたいなのを叩きながら狂人たちを集めた心理学教室でやる精神病患者の待遇改善をうたった阿呆駝羅経。

「心理遺伝」というのは、これ自体がある意味ネタバレなんですが、逆にこれを押さえておかないと中盤以降のストーリーの展開がわからなくなるので簡単に説明しておきます。肉体の形質が遺伝情報によって親から子に伝わるように、心理的なトラウマも親から子に伝わるので、前世(祖先の誰か)の記憶が何世代か後の子孫に突然現れることがあるという仮説。仮説といっても夢野久作が創作したもので、実際に戦前にそうした学説があったわけではありませんが、遠い祖先の無意識を子孫が受け継ぐという意味では、ユングの学説にある集合的無意識やビッグマザーなどに近い考えかもしれません。
以下は公開当時のパンフレットの解説文とも重なってしまいますが、夢野久作の文体は一人称の独白が多いので、小説をそのまま映画化すると登場人物が延々としゃべっているか、ずーっとナレーションしているようになってしまいます。そこで、松本監督は、新聞、写真、人形劇芝居の幻灯、映画と、実際に戦前にあったさまざまな視覚メディアを使って各シーンを構成するという試みをしています。これはなかなか効果的で面白い演出でした。もちろん、そこには枝雀師匠の単なる語りやナレーションを超越した話芸の世界があってのことです。松本監督の映像センスと枝雀師匠の話芸が融合した奇跡のコラボレーションと言うべき作品です。