『ポルノ時代劇 忘八武士道』

1973年 日本 監督:石井輝男


丹波大先生主演の映画からもう1本、テレビ時代劇『三匹の侍』で時代劇俳優としても大ブレイクした丹波大先生ですが、その豪快な殺陣が存分に見られる映画も実はあまり多くありません。今回紹介するのは、石井輝男監督が東映で撮ったエログロを全面に打ち出した「異常性愛路線」シリーズの中の一本で、原作は小池一夫小島剛夕の『子連れ狼』コンビ。本格的な時代劇に、70年代に世界的に流行した「セックスプロイテーションフィルム」「モンドフィルム」の要素をミックスさせた副題の通りポルノ+時代劇という怪作。

あらすじ

生きることに飽きて無為な人斬りを重ね役人に追われる無頼の武士、明日死能(あしたしのう)(丹波哲郎)は、ついに橋の上に追いつめられるが、「もう斬り飽きた」とつぶやき川に身を投げる。「生きるも地獄、死ぬもまた地獄」そのまま川底に沈んだかに思われた死能だが、気がつくと目の前にはドアップの女の裸が。吉原遊郭の忘八者の頭、白首の袈裟蔵(伊吹吾郎)は吉原支配、大門四郎兵衛の命令で死能を助けたことを告げる。忘八者とは吉原遊郭を陰から支える者たちで、人を人たらしめている8つのルール=孝・悌・忠・信・礼・義・廉・恥を忘れた者たち、つまり人でなし、人の皮をかぶったケダモノ。玉出しの姫次郎(久能四郎)の手引きで武家の娘を遊女に仕込むことになる死能だが、実は娘は女忘八のお紋(ひし美ゆり子)で一部始終は死能を忘八者にするかどうかをテストする「忘八試し」だったのだ。試しに落ちた死能は吉原を追い出され、再び役人と斬り合いになるが、大門四郎兵衛(遠藤辰雄)は吉原が幕府公許の証明である葵の紋の「けころの鈴」の権威を楯に役人を追い払い死能を再び吉原に入れる。四郎兵衛は死能を使って、大名や直参の庇護で巷にはびこり吉原に対抗する幕府不許可の風俗店をつぶそうと企んでいた。「けち切り死能」として邪魔者を切り暴れまくる死能に幕府は隠密(内田良平)を差し向けるが...。

ストーリーは二転三転四転五転ところげ回ります(石井監督の作品ではいつものことですが)。「ポルノ時代劇」と銘打たれているだけに、全編にわたって、無意味にハダカが出まくり、唐突に責め(拷問)が始まったり(これは当時流行っていた「女囚映画」の影響か)、江戸時代の風俗店を紹介するパートでは、いろいろなシチュエーションのHシーンがあったり、例によってお約束のキャットファイトがあったりと、もちろんソッチ方面のお楽しみシーンも満載なのですが、これについては他のサイトでもよく取り上げられているようなので、やはりここは丹波先生の素晴らしい殺陣を中心に語らせていただきたいと思います。

まず、冒頭の橋の上での斬り合いから、刀と刀がぶつかって火花が散るとジャリ〜〜ン!というエフェクトともにキャスト名が出てくるという凝ったオープニングに。つまり「ポルノ時代劇」とあっても、これからはじまるのは、単なるエロ映画ではなく、本格的なアクション時代劇だということを観客に印象づけるものだと思われます。
本編で死能が試しにかけられるパートでは、珍しい丹波先生の居合いが見られます。最初は武家の娘の着物を背後から一閃、素っ裸にしてしまうシーン。からかった女の耳を切り落としてしまうシーン、そして四郎兵衛によって再び吉原に入れられ、伊吹吾郎と対決するシーン。伊吹吾郎は短筒(拳銃)の名人で、三船御大の『用心棒』もかくやと思われる短筒対居合いの対決が見られます。しかもこちらは座敷での対決なので居合いも相手の間合いに入っており、対決の瞬間になぜか照明が落ち、刀の鍔鳴りがした瞬間に短筒の発射音という音響効果で盛り上げる手法はいかにも時代劇らしい展開で、対決の結末も気が利いてすばらしいです。

この時代はまだ時代劇が映画の一ジャンルとして命脈を保っており、いわゆる撮影所システム(各映画会社が自前の撮影所を持ち、その中に○○組などと呼ばれる専門の職人集団をかかえ、作品ごとにそれらの職人集団が各パートを分担しながら撮影するシステム)もちゃんと機能していた頃です。したがって、B級作品、低予算作品であっても、セットや衣装がやたらに豪華で専門の殺陣や武術指導がつくのでアクションシーンもレベルが高くなります。話はやや脱線しますが、このシステムは東映では現在でも京都撮影所を中心に引き継がれており、「水戸黄門」や「暴れん坊将軍」などのテレビ時代劇の多くが京都撮影所で作られているのはこのためです(映画と違い制作本数の多いテレビ作品では撮影所システムは効率的)。さらに言うと、東映制作の近年の特撮戦隊シリーズの多くの作品でも、決め技が斬撃(ざんげき)だったり、アクションシーンでジャンプ技やトランポリンを使った宙返りが多用されるのは、時代劇忍者アクションの名残だったりします。
というところで、内田良平が演じる忍者(黒鍬者ーくろくわもの)の登場となります。内田さんは元々時代劇俳優ではないので、アクションシーンはほとんど吹き替え(スタント)なのですが、キャリアが豊富なだけに丹波先生との対決シーンはきっちりこなされており、マッパで移動中(!)の女忘八軍団とのアクションシーンでも、わざと胸をつかんだり(セクハラだよ)、『ブレードランナー』のハリソン・フォードよろしく、太股で首締めされたりと大奮闘(ポスターの画像参照)。丹波先生の次においしい役だったと思います。

死能は四郎兵衛の奸計を見抜いて対決、そして最後の大立ち回りとなりますが、対決シーンでの遠藤辰夫のメイクはほとんどゾンビです。それでこの大門四郎兵衛の台詞回しがまた凄い。変なイントネーションで言葉の間を引っ張りながら「こぉ〜っぱ やぁ〜くにん どぉ〜もがぁ〜 ふぅ〜るえあがって かぁ〜えりおったわぁ〜」みたいな感じで喋るのです。ビンセント・プライス主演の古典SF映画『地球最後の男』に出てくる蘇生した死体だよ、これじゃあ。
死能は四郎兵衛に麻薬中毒(ダメ!絶対ダメ!)にされますが、大立ち回りの最中に禁断症状が。このときなぜか急に画面が真っ赤になり、過去のシーンがフラッシュバックするのですが、このときにもドアップで凄い形相の遠藤辰夫が繰り返し出てきてもうお腹いっぱいです。

死能は「人切り浅右門」が使ったという名刀「鬼包丁」を振りかざし二刀で戦います。二刀の殺陣は一刀より難しいのですが、さすがは丹波先生、まったく危なげがありません。主人公が単身、敵が全滅しそうになるまで斬って斬って斬りまくるというシーンは時代劇映画でもわりと珍しいかと思います(『子連れ狼』くらいか)。『キル・ビル』の青葉屋でのクレイジー88との対決は案外これがベースなのかもしれません。

石井監督作品は近年再評価が進んで、主要な作品はDVD化され、劇場でも以前に比べ良くかかるようになってきたようです。ただ、「異常性愛路線」の作品は、その極端な表現手段から「突っ込んで笑う映画」という一面的な評価がメインになってしまっているのではないでしょうか。もちろんそいういう見方は正しいし、石井監督自身もそうした意図で演出しているところも大いにあると思いますが、すでに述べたように映画としての厚みを底辺から支えているスタッフの心意気や、時代劇スピリット(大立ち回りで大部屋時代の拓ボンこと川谷拓三が顔面を血だらけにして斬られるシーンが象徴的)をもっともっと感じてもらいたいなとも思います。

※「はまぞう」ではリンクできませんでしたが、DVDはAmazon東映サイトで取り扱いあり。


ハッスル状態の内田良平さん(中央)。渋くキメる丹波大先生(下)。どっちが主役だ(笑。

『続人間革命』

1976年 日本 監督:舛田利雄

ブログってのは日記のようなもんで定期的に更新されるというのが世間一般の理解なんだろうと思いますが、このブログは自分の個人的な映画に関する感想やら思い出やらの記憶を残しておくためにはじめたので、はっきり言いまして定期更新なんてはじめから考えてませんので、そこんとこヨロシク!

前々回に『砂の小舟』を紹介しましたら、何と大俳優、丹波先生が霊界に旅立たれてしまいました。合掌。
本格時代劇からギャングアクション、スパイもの、戦争超大作まで様々なジャンルの数多くの映画に出演された丹波先生ですが、主演映画というのは意外と本数が少ないのです。例えば、丹波先生の代表作としてよく上げられる『砂の器』や『ノストラダムスの大予言』にしても丹波先生演じる今西刑事や西山環境研究所の所長・西山良玄はたしかに出番は多いのですが、果たして物語の主人公かと言うとちょっと違う感じがしてしまう。それは、後の大霊界映画でもそうなのですが、1970年代後半あたりから、丹波先生はまるで「語り部」のようになっていくからです。物語の主人公を演じるのではなく、物語をただひたすら語ってしまうと言う、日本いや世界でもまれな「語り部俳優」。『砂の器』では、犯人の数奇な人生を語りまくり(ほとんどナレーター)、『ノストラダムス〜』では破滅に向かう人類文明を環境問題から語りまくり、『大霊界 死んだらこうなる』では、死後の霊界について語りまくる、という具合。しかし、ここに主演俳優として堂々の演技を披露しつつ、さらに語って語って語りまくる2つの作品が。それが『人間革命』と、今回紹介する『続人間革命』です。

あらすじ

創価学会の初代会長牧口の死後、理事長となった戸田城聖丹波哲郎)は、戦争中に官憲の弾圧で壊滅状態になった学会の再建を誓い、積極的に布教活動を行うかたわら、学会の活動を財政面から支えるために自らの出版社・日本正学館の経営にも尽力する。そんな頃、戸田は座談会で山本伸一あおい輝彦)という青年と出会う。山本は入信後、戸田に見込まれ正学館に就職し、雑誌「冒険少年」の編集長に抜擢される。事業が多忙な中、創価学会の活動にも打ち込む戸田だが、復興した大手出版社から次々にライバル雑誌が登場し正学館の経営は悪化。さらに不況が追い打ちをかけ、出版業務を停止。さらに起死回生の策として設立した「東光建設信用組合」も貸付金のこげつきから資金繰りが悪化してしまい...。

このあらすじだけ読むと、これが宗教映画なのか何なのか良くわからないと思いますが、実際に見ても丹波先生の説法以外のドラマパートは、戸田城聖さんの経営者としての苦労話という感じで、説法の中で繰り広げられる特撮で再現される天変地異や壮大な大宇宙の真理とかの話と、奥さん(新珠三千代)が自分の着物を質入れしようとしたり、あおい輝彦が「青い山脈」がかかっている映画館で濡れた靴下を絞ったりという侘しい日常生活が交互に繰り返されて、そのギャップが何とも言えません。
とにかくこの映画の見所は一にも二にも丹波先生の渾身の演技とまさに「神懸かり」とも言えるその話術にあり、160分のうち少なく見ても2/3は丹波先生の説法です。丹波先生が自ら「演じるというより戸田城聖が入って来た」というほどの迫真の演技に加え、催眠術もよくし、当時にして既に一種名人芸の域に達していた丹波節で滔々と教義を語りまくるのを聞いていると、何となく宇宙の真理がわかってしまったような気になってくるから不思議なもんです。

さて、今回正編の『人間革命』でなく続編を紹介するのは、出演者がとにかく豪華で、かつ特撮作品の関係者が多いのと、実際に特撮シーンが多用されているためです。
学会の幹部役で黒部進ウルトラマン)、森次晃嗣ウルトラセブン)、会員を脅すヤクザに岸田森怪奇大作戦、帰って来たウルトラマン)、戸田の碁の相手に名古屋章(帰って来たウルトラマンのナレーター)と円谷特撮組。本家東宝特撮では、戸田のパトロン役で志村喬ゴジラゴジラの逆襲)、ちょい役だけど小泉博(モスラマタンゴ)、特撮ものへの出演は少ないが副会長役で稲葉義男(日本海大海戦、ブルークリスマス)となかなかの顔ぶれ。特撮関係以外でも、スケ番映画の常連だった夏純子がなぜか女性幹部だったり、丹波先生とは『ポルノ時代劇 忘八武士道』で共演した久野四郎が信者役でワンシーンだけ出ていたり、警察の受付に無責任シリーズの人見明がいたり、渡哲也がいきなり敵対するヤクザの葬儀に殴り込みかけたり、組員の中に刈谷俊介がいたりと、意外な俳優さんがちょこちょこ出て来るのでディープな邦画マニアさんも楽しめるはず。
特撮パートの監督は『メカゴジラの逆襲』、北朝鮮ゴジラプルガサリ』の中野昭慶監督が担当。特撮シーンは、日蓮大聖人の「立正安国論」の記述がベースになっており、地震(地割れに人が呑み込まれるのは『恐竜100万年』のパクリ?)、洪水、台風といったおなじみの天変地異シーンの他、鎌倉時代の合戦のシーンでは、首が落ちるは腕が斬り飛ばされるは血飛沫が吹き出すはといった相変わらずの東宝スプラッター描写がふんだんに見られます。こういう凄惨なシーンを目当てに鑑賞するのは本当に罰当たりなのでやめましょう。終盤、子役時代の大竹しのぶ(容姿はともかく、この人、声やしゃべり方が全然変わらん)が唐突に宇宙のはじまりについて語り始めるのですが、そこで出てくるアニメが部分的に切り紙アニメで、ショボくてまたいい味出しております。

それからすごく気になるのが、後に戸田の秘書になる(つまり池田大作先生がモデル)山本伸一役のあおい輝彦の演技。戸田の説法を聞いている時とか、戸田と会話している時の目がかなりウルウルしててちょっと引きます。まあ、宗教上の師匠と弟子なので戸田に心酔しいているのはわかるんですが個人的にはちょっと気持ち悪い。ああ、これはあくまで個人的な映画に関する感想ですので。

そんなこんなでラストは丹波先生の大演説で締めなのですが、このパートだけ見ると2年前に制作された『ノストラダムスの大予言』と何だか区別がつかない。というより、制作:田中友幸、監督:舛田利雄、特撮監督:中野昭慶 主演:丹波哲郎 ってこの3作品まったく一緒だしねえ。

※DVDはAmazon等では取り扱いしてません。創価学会系の「シナノ企画」のサイトで通販するか、信濃町駅前の書店で買えます。私は信濃町まで行って買いましたさ。

『ドグラマグラ』

1988年 日本 監督:松本俊夫

ドグラ・マグラ [DVD]

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『砂の小舟』は「生まれ変わり」がテーマでしたが、そういう前世の記憶を「心理遺伝」という仮説で研究していた二人の心理学者による実験の結果起こった連続猟奇殺人ミステリー。戦前の探偵小説家、夢野久作の代表作にしてあまりにも有名な奇書『ドグラマグラ』の映画化作品。監督は『薔薇の葬列』『ゲンセンカン主人』など実験的な作風で知られる松本俊夫

あらすじ

「ブーン、ブーン」という柱時計の音で目を覚ました青年(松田洋治)は、自分が独房のような部屋に監禁され、記憶を失っていることに気付く。自分を「お兄様ァ」と呼び続ける謎の少女の声。やがて、心理学者で若林博士(室田日出男)と名乗る男が事情を説明し始める。若林博士の説明によれば、青年の名は呉一郎といい、ある理由から同居していた叔母と従姉妹を殺害しており、自分が呉一郎であることと、記憶をなくした原因を思い出せば回復し、ここから出られると言う。研究室に連れて来られた一郎は、正木(まさき)博士(桂枝雀)と名乗る坊主頭の怪人物から意外な真相を知らされる...。

ストーリーはあんまり詳しく書くとネタバレするんでこのくらいで。この映画の最大の見所はなんと言っても桂枝雀師匠のしゃべりと怪しげな演技!それに尽きますね。まさに、桂枝雀ドグラマグラ独演会。といって別に映画の中で落語をやってしまうわけではありませんが。
枝雀師匠には熱狂的なファンがいる一方で、ちょっと苦手という人もいるようですが、それは落語という笑いのエンタテインメントの中にも一抹の狂気というか、うまく言葉にはできない不穏さを隠しているからではないかと思います。ちょうど映画ではそれが反転する形で、自分の研究のためには手段を選ばないという、冷徹なマッドサイエンティストでありながら、ちょっとユーモラスで憎めないところもあるという二面性を持った正木博士という怪人物を怪演されています。圧巻なのは、チャカポコいう小さな木魚みたいなのを叩きながら狂人たちを集めた心理学教室でやる精神病患者の待遇改善をうたった阿呆駝羅経。

「心理遺伝」というのは、これ自体がある意味ネタバレなんですが、逆にこれを押さえておかないと中盤以降のストーリーの展開がわからなくなるので簡単に説明しておきます。肉体の形質が遺伝情報によって親から子に伝わるように、心理的なトラウマも親から子に伝わるので、前世(祖先の誰か)の記憶が何世代か後の子孫に突然現れることがあるという仮説。仮説といっても夢野久作が創作したもので、実際に戦前にそうした学説があったわけではありませんが、遠い祖先の無意識を子孫が受け継ぐという意味では、ユングの学説にある集合的無意識やビッグマザーなどに近い考えかもしれません。
以下は公開当時のパンフレットの解説文とも重なってしまいますが、夢野久作の文体は一人称の独白が多いので、小説をそのまま映画化すると登場人物が延々としゃべっているか、ずーっとナレーションしているようになってしまいます。そこで、松本監督は、新聞、写真、人形劇芝居の幻灯、映画と、実際に戦前にあったさまざまな視覚メディアを使って各シーンを構成するという試みをしています。これはなかなか効果的で面白い演出でした。もちろん、そこには枝雀師匠の単なる語りやナレーションを超越した話芸の世界があってのことです。松本監督の映像センスと枝雀師匠の話芸が融合した奇跡のコラボレーションと言うべき作品です。

『砂の小舟(おぶね)』

1980年 日本 監督:丹波哲朗 原田雄一

丹波大先生といえば、もはや俳優というよりも「霊界案内人」として唯一無二、天下無双というお方ですが、これはプレ『大霊界』とも言うべき作品。現在は大霊界シリーズのさきがけとして、『地上(ここ)より大霊界』というタイトルになっているらしい。もうオープニングの金色に輝く髑髏(ドクロ)からして完全にカルトな雰囲気でわくわくします。

あらすじ

生まれた時から口がきけない少年(林田昭彦)と、少女(津奈美りん)は幼なじみだが、少女のお尻には「怨」と読める痣があり彼女には自分にどうしてそんな痣があるのか不思議でならない。ある日海辺で遊んでいた二人は、砂に埋もれた小舟を見つける。掘り出された小舟は二人に乗せると、ひとりでに洞窟に向かって走り出した。洞窟は過去に通じていて、二人は自分たちの前世の姿と口がきけないこと、「怨」の痣の因縁を目撃することに。

いや、手抜きじゃなくて、この先のストーリーを書いてしまうとネタバレしちゃうんで。タイトルで検索して上位に出るページは思いっきり後半までのストーリー書いてるので未見の方はご注意を。といってもDVD化されてない(ビデオはあったと思う)ので、たまたまどっかの映画館で上映するのに当たらないとなかなか見れないと思いますが。この映画自体には、『大霊界 死んだらどうなる』や『大霊界2 死んだら驚いた』みたいに霊界そのものが出てくるわけではないです。シリーズ完結編『大霊界3 勝五郎の再生』と同じテーマで「生まれ変わり(輪廻転生)」を扱ってます。似たテーマでは『リトル・ブッダ』というのもありますが、あっちはブッダの生まれ変わりなのでちょっと特殊かな(生まれ変わりという現象自体が十分特殊ですが)。
この作品のカルトな理由は「真言立川流」という文字通りの「カルト」が重要な役割をしているところ。「立川流」とは真言密教の流派の一つで、身分のある人の頭蓋骨に、男女がセ○クスした時の液と金箔を塗り重ねて金色の髑髏を作り、それによって各種の呪法を行うらしい。オープニングに出てくる金色の髑髏はこれなのです。で、どこかの洞窟でお面を付けた男女の信者が怪しげな読経の中、いっせいにHし始めるというなかなか凄いシーンがあります。これを主催する怪僧を演じるのが、もちろん丹波大先生。宗教的な儀式なのでヤラシイ感じはあまりないですが、かといって荘厳な感じもなく、どっちかというとかなり不気味。主人公二人も設定上は未成年なのに怪僧の催眠術に操られてヤってしまうので、DVD化されないのはこれが理由かも。映画の中の催眠術はかける方もかけられる方も明らかに演技でやってますが、丹波大先生は実際に催眠術ができるそうです。
映画では、丹波大先生が金色の髑髏の由来を主人公たちに語るだけで、真言立川流の儀式という説明はありません。立川流は江戸時代に邪教とされ絶えてしまったので、現代では存在自体あまり知られていないのですが、それを映画の重要なモチーフにしたところが、さすが丹波先生。立川流の成立や教義、儀式の詳細は京極夏彦氏のミステリー『狂骨の夢』という作品で詳しく紹介されています。どうも京極氏もこの映画を思春期の頃に観てしまったのではないかな。
さらに後半では、主人公たちが丸坊主にされた上、全裸で放置されたり、たどりついた納屋のようなところで野盗に襲われたりとひどい目に遭い続けます。まあ、このあたりしか見所がないと言ってしまえばそうなんだけど、何なんだか。

主人公二人が前世(過去)に戻ったときのセットや衣装が妙に豪華だったり、音楽をバッハ・レボリューションが担当してたりと、単なるB級怪作にとどまらないクォリティーも感じられ、見終わった後ですっかり呆然としてしまうような、しばらくは、もう一生観ることもないだろうなと思いつつも、十数年経った頃に、またどうしても観たくなってしまうというような、そんな不思議映画です。

『風の谷のナウシカ』

1984年 日本 監督:宮崎駿

風の谷のナウシカ [DVD]

風の谷のナウシカ [DVD]

「なんで巨神兵は熱線吐くと溶けるのか?」「メーヴェの動力は?」「王蟲は水陸両棲?」「結局アスベルはクシャナと和解したのか?」と観る者にさまざまな疑問を投げかけたまま、「おわり」の三文字で大団円という宮崎監督渾身のSFアニメの金字塔。

あらすじ

遠い未来、「火の七日間」と呼ばれる最終戦争によって高度な文明は失われ、人類はたそがれの時を迎えていた。腐海(ふかい)と呼ばれる猛毒の瘴気(しょうき)をまき散らす巨大な菌類の森は、そこに住む蟲(むし)たちによって胞子を運ばれてますます広がり、わずかに腐海のほとりに住む人々も腐海に飲み込まれようとしている。谷を吹き抜ける風によって腐海の浸食から免れている「風の谷」の人々は、古くから伝わる知恵で腐海と共生してきた。腐海の謎を解くため腐海のほとりの辺境諸国を旅してきた剣士ユパは、風の谷に向かう途中で王蟲(おうむ)に襲撃され、風の谷の族長の娘でユパを師と慕うナウシカに救われる。風の谷では気流の流れを読む能力を持つものを「風使い」と呼ぶ。ナウシカも谷で一番の風使いに成長していた。ユパの話は明るいものではなかったが、遠方からの客の訪問に風の谷の城は久しぶりに賑わった。しかし、宴が終わった夜、蟲に襲われた大型艇が風の谷の近くに墜落する。ナウシカは墜落現場で「ペジテのラステル」と名乗る鎖でつながれた瀕死の少女から「兄のアスベルに渡して欲しい」と小さな石を託されるが、それは「火の七日間」を起こした巨神兵を動かすためのパーツ「秘石」だった。そのころ、坑道から掘り出された未完成の巨神兵を奪うためペジテ市を滅ぼした強国トルキメキアの皇女クシャナが、秘石の行方を求めて風の谷に侵攻して来る。

この作品は「月刊アニメージュ」というアニメ雑誌に宮崎監督が連載していた長編コミックを映画化したもので、『ルパン3世カリオストロの城』などを制作したテレコム・アニメーションを離れた宮崎監督が、トップクラフトというアニメスタジオで制作した初めての劇場アニメ作品です。トップクラフトはその後発展解消して「スタジオ・ジブリ」が設立されます。最近では『ナウシカ』もジブリ作品として紹介されることがあるようですが、このような事情から正確にはジブリ作品ではないのです。アニメーションとしての見所は、メーヴェの飛行シーンと、王蟲の動き、特に物語の冒頭で、王蟲に襲われた剣士ユパをナウシカメーヴェで救出に向かうシーンでは、その動きのすばらしさに観客がどよめいたほどです。現在は、かなり複雑な動きもCGでトレースすることが可能になったようですが、当時はすべて原画から手書きで起こしていたことを考えるとこのシーンの技術の高さと労力は驚きです。また、後にアニメ制作会社「ガイナックス」で『新世紀エヴァンゲリオン』を手がけることになる庵野秀明監督が復活した巨神兵の原画を担当したのはマニアの間では有名な話。ワヤワヤと牙(?)を動かしながら口を開け、開けた状態でわずかに動きを「タメ」てから一気に熱戦を発射する様は他のアニメーターではなかなか表現できなかったと思います。さすがはウルトラマン作品へのリスペクトから学生時代に自らがウルトラマンに(素顔で)扮した自主制作映画を作ってしまうだけのことはあります。このシーンの巨神兵は完全に「悪い怪獣」になってますから(笑)。
ストーリーはコミックの2巻まで(7巻で完結)をダイジェストにした感じで、うまくまとめられているというのと、中途半端というのと公開当時から評価が分かれていました。特に腐海の謎(なぜ腐海ができはじめたのか)については、映画では原作コミックとはかなり異なった説明がされています。コミックは6巻以降は人類の種としての業(カルマ)みたいな話で、宮崎監督の暗黒面が全開する凄い展開になりますので、興味のある方は是非ご一読を!

『未来世紀ブラジル』

1985年 アメリカ・イギリス 監督:テリー・ギリアム

未来世紀ブラジル [DVD]

未来世紀ブラジル [DVD]

これからは、ちょっとだけ古い作品が続きます。
今回紹介する『未来世紀ブラジル』は奇天烈映画の本命かな。
テリー・ギリアム監督は、『ブラザーズ・グリム』がそこそこヒットしたのが記憶に新しいところ。あの作品のビジュアルセンスもかなりヘンですが、ファミリー向け路線の作品だったので全然本領発揮してないぞ。
この人、元々はイギリスBBCテレビの伝説的コメディ番組「モンティパイソン」(『モンティパイソンの空飛ぶサーカス』)のアニメーター。良くも悪くもモンティ時代のセンスで勝負し続けてます(最近負けがちだなあ)。
そんなギリアム氏が、ようやく日本でも一般公開されたモンティ解散後に監督した怪作『バンデットQ』の余勢を駆って真っ向勝負に出た。それが軽快なボサノバの名曲「ブラジル」に乗ってテロと拷問が日常化しちゃって、チューブがうねる高度管理社会の官僚独裁国家(?)での、とある下っ端公務員青年の妄想と現実がいったりきたりの恋と冒険の物語だ。

あらすじ

ある時代のある国。国民の情報をすべて国家が管理するこの国では、自由を求めてテロを行う人々がいた。その首謀者とされる修理工のバトル(ロバート・デニーロ)の逮捕に躍起になった政府は容疑者を捕らえては次々に情報剥奪局(情報剥奪ってのは拷問を遠回しにした言い方)に送り込んでいた。
死んだ父親が大臣だったサム(ジョナサン・プライス)は、母親から早く出世するように望まれていたが、彼には夢想癖があり出世も役所の仕事にも興味はない。そんな時バトルの逮捕状のタイプミスで無実の靴職人タトル氏が逮捕される。アパートの上階に住んでいるトラック運転手のジル(キム・グレイスト)はタトル氏の逮捕が誤認であることを陳情しに行くがお役所仕事で埒があかない。役所で彼女を偶然見かけたサムは一目惚れ。彼女はいつも夢に出てくる囚われの美女そっくりだったのだ。
数日後、タトル氏は拷問で死亡。担当の役人の手続きに間違いがあり、なぜかサムがその後始末を引き受けることになる。一方、役所ではバトル/タトル事件そのものを隠蔽するために、事情を知るジルを抹殺しようとしていた。それを知ったサムは...。

とにかくこの作品はビジュアルセンスが凄い、凄すぎ。室内やセットのビジュアルにこだわった作品は、カルト映画として評価される場合が多いです。『時計仕掛けのオレンジ』、『シャイニング』、『ブレードランナー』、『サスペリア』、『薔薇の名前』等々。特にこの作品ではチューブや配管が効果的に使われているのと、ちょっとレトロっぽい感覚が特徴。公開されたのは、やたらに「レトロ」が流行っていた頃で、邦画でも『帝都物語』とかやってたな。美術に凝ると予算が大変なんで、なるべく登場人物を少なくしてセットに金をかけるのがギリアム流。で、出てくるアイテムが一々かっこいい。小さいモニターを平面レンズ(フレネルレンズという)で拡大するタイプライターみたいなキーボードのPC端末とか、ドイツのメッサーシュミットが作った自動車をモデルにした単座の小型車とか、売ってたら絶対欲しいものばかり。

実はこの作品ラストはギリアム監督が意図したものとは異なるものになるところだったようで、そのへんの事情は暴露本『バトル・オブ・ブラジル』に出てます。まあ、いろんな意味で必見の映画。毒はちょっときつめなので万人向けではないけれど。

『チャーリーとチョコレート工場』

2005年 アメリカ 監督:ティム・バートン

チャーリーとチョコレート工場 [DVD]

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レンタルDVDで。
公開当時かなり評価が分かれていたようなんで、どうかなと思って観ましたが、いいねェこれ。
Yahoo!ムービー見たら「原作には描かれていない工場長ウィリー・ウォンカの子供時代も明らかにされる。」なんて書いてあったけど、裏設定とか別にないから、これって単に監督の創作じゃないの。「バットマン」しかり、「スリーピーホロー」しかりで、子供時代のトラウマを描くのがこの監督の趣味なんですから。

あらすじ
誰も出入りしないのに毎日大量のチョコレートだけが出荷される謎のチョコレート工場の経営者ウィリー・ウォンカ(演:ジョニー・デップ)は、5人の子供たちを工場見学に招待するため、世界各地に出荷されるチョコ・バーに5枚のゴールデンチケットを封入する。貧乏な家の子供チャーリー(演:フレディー・ハイモア)は、誕生日に買ってもらったチョコではずれ、昔チョコレート工場で働いていたじーちゃんのへそくりで買ったチョコでもはずれ、すっかりめげていたが運良くネコババした(笑)金で買ったチョコ・バーで最後のゴールデンチケットをゲットした。
チャー坊以外にゴールデンチケットを手に入れたのは、毎日チョコを食べ続けていた肥満児で意地汚いオーガスタ(ドイツ代表)、親が金にあかせてチョコを買い占めてチケットを手に入れたわがままな金持ち娘ベルーカ(イギリス代表)、すべてにチャンピオンを目指す自信過剰娘のヴァイオレット(アメリカ代表)、計算からチケット入りチョコ・バーを一発で当てたと豪語するゲームヲタのティービー(アメリカ代表)といったおかしな連中。アメリカと西ヨーロッパ以外で当たりが出なかったのは高級品扱いで流通量が限られているからか? 工場の内部に入った彼らが見たのは信じられないようなチョコレートの製造工程だった。

映画のスタイルとしては、一応ミュージカル仕立てで、「ウンパルンパ」という小さい人の従業員たちが、子供たちを皮肉った歌を歌い踊ります。「ウンパルンパ」は大勢出てきますが、演じているのはディープ・ロイという本当に小さい役者さん一人で、この人が何人ものウンパルンパを演じ分け、それがCGで合成されています。この歌と踊りが「非常に味わいがあって」イイです! それと、ナッツ(たぶんクルミ)を殻から取り出すリスたちのCGが凄い。このあたりは細かく説明しても伝わらないだろうし、説明してしまうと面白くなくなるので、とにかく見てくださいと言うしかありません。このリスのシーン見るためだけでもこの映画見る価値あります。とにかくこのリスたちの動きは素晴らしいですよ(ってリスマニアか)。

もうひとつ素晴らしいシーンというか台詞。チャー坊が最後のゴールデンチケットを当てたとき、父ちゃんは失業中だった(失業した理由がおかしい)ので、けなげなチャー坊は家計の足しにゴールデンチケットを売ろうと言い出します。そこで父方のじーちゃんが説教たれるのです。「金は毎日印刷されて世界中に出回っているが、”ゴールデンチケット”はこの世に”5枚”しかない。今手放したら二度と手には入らない。そんな貴重なものをいつでも手に入る金と交換するのはトンマのすることだ。お前はトンマになりたいのか」と。さすが「亀の甲より年の功」「親の意見と茄子(なすび)の花は万に一つの無駄もない」ってやつです。家族から「またこんな無駄なものに大金使って、使わないでとっとくだけなら売ったら?」と言われているコレクターの方は””の部分をアレンジして説教してあげましょう。「金は毎日印刷されて世界中に出回っているが、”復刻版ニコンSPブラックペイント”はこの世に”2500台”しかない。今手放したら二度と手には入らない。そんな貴重なものをいつでも手に入る金と交換するのはトンマのすることだ。」と。今でもトンマだと思われている? ウーン...。

映画ではチャーリー君は家族から「チャーリー」と呼ばれてますが、たぶん本名はチャールズで、チャーリーはチャールズの愛称だったかと思います。んで、このブログでは「チャー坊」ってしてみました。「8時だヨ!全員集合」の加藤茶みたいってか?。

ウィリーの親父でオッカナイ歯科医、見た顔だと思ったらクリストファー・リー御大でした。ウィリーがハロウィンでもらってきた菓子を一々嫌みったらしく解説したあげくに一瞬にして暖炉に投げ捨てるという非情ぶり。さすがです。

この作品が原作『チョコレート工場の秘密』の初映画化だと思っていたのですが、ググってたら1971年に『夢のチョコレート工場』という作品があったんですね(日本未公開)。こちらのレビューを読んだらもの凄く観てみたくなりました。http://www1.odn.ne.jp/aaa55210/personal/music/willy1.htm
静炉厳さん、面白すぎです。